市民会議の活動 / Citizens conference最近行った活動
[2021/04/29 実施] 4/24『オオルリ観察会』を行いました。
4/24(土) 野生生物資料情報室を主宰し、信州野鳥の会会長でもある「植松晃岳」さんを講師にお招きし、『オオルリ観察会』を行いました。
当日は、オオルリをはじめとして、シジュウカラ、ヤマガラ、ホオジロ、コゲラ、ノスリ、トビ、コマドリなど15種程度確認できました。
オオルリは、終了間際に姿も現してくれて、ご参加の皆様も大満足の観察会となりました。
青い鳥をみて、幸せになりましたか?
※画像は過去のものです。
[2020/06/28 実施] 新月伐採木の引き上げ作業
[2012/11/16 実施] 11/16新園路仕上げのチップ敷き均し作業(平成24年度分完成!)
新園路開通にむけて、市民会議と森林保全チーム・県でチップ敷き均し作業を行い、今年度分の新園路が完成しました!!
現地で樹木伐採や園路設置工事・チップ敷き均しなどの作業が本格的に始まったのは平成22(2010)年度ですが、より歩きやすい園路設置についての構想は、さらに数年前からありました。
現地作業に入る前に、市民会議の市民会員が中心となって、道なき森林内を何度も歩いてルートを検討し、環境への影響を極力小さくするために園路上の動植物を調査し、間伐作業等で発生した木材を使ってチップを作成したりと、現地作業に入るまでの下準備にも相当のエネルギーを使ってこの園路はつくられました。
既存の園路と比べて、なだらかで、チップも足に心地よい道となりました。
仕上がりは、是非実際に歩いて、ご確認ください。
[2012/11/10 実施] 11/10新園路仕上げのチップ敷き均し作業
新園路開通にむけて、市民会議と森林保全チーム・県でチップ敷き均し作業を行いました。
林内用の小型運搬機にて袋に入ったチップを運搬し、新園路に人力で敷き均しました。
チップの運搬も敷き均しもなかなかの重労働。園路の凹凸や勾配に手こずりながら現地までチップを運搬し、現地では袋をひっくり返して中身を掻き出し、園路に散布し、きれいに均してゆきました。
当初この作業は来春に行う予定でしたが、「紅葉がまだ楽しめるうちに是非開通させよう」という市民会議の熱意により、今秋の開通となりました。
紅葉は終盤にさしかかっていますが、森林の黄・橙・紅・緑色のグラデーションをもうしばらくは愉しむことができそうです。
どうぞ静かな森の散策をお愉しみください。
[2012/10/27 実施] じっくり みっちり紅葉観察会/大木先生の博学を聴く(10/27紅葉観察会 実施結果)
烏川渓谷緑地市民会議は10月27日、森林エリアで「樹木の紅葉観察会」を開いた。参加は26人。おだやかな秋の日差しのなかで、大木正夫講師(県林業大学校講師)に木々や草本の見分け方、それらにまつわるいろいろな話をみっちり聴いた。大木さんはきわめて幅広い知識を持ち、植物、自然への愛情は深い。2時間半の観察の中で、100種類以上の木や草の名をあげ、実物を示し、さまざまなエピソードを語ってくれた。その一端を紹介する。
・紅葉は、寒さがくると葉と幹の間を遮断する層ができることで葉を落とす。黄葉から紅葉となるが、今秋は黄色が強く、赤が少ない。コシアブラやニワトコは色素が緑しかないので、黄や赤くならず、色が抜けてゆく。
・ヒノキやスギなどは葉を落とさず、枝ごと落とす。ケヤキは実のついている枝を落とす。
・ヒノキとサワラの違いは樹肌で分かるが、葉裏の白い気孔が「XW」がサワラ、「Y」がヒノキ。
・ミズナラとコナラの違いは、樹皮が厚く割れが深いのがコナラ、皮が薄いのがミズナラ。シイタケは皮を破って成長するので、原木にするには、皮のしっかりしたコナラが良い。ミズナラとコナラは高度で住み分けており、コナラは1000㍍以上にはいかない。大町以北は両者が混在する。
・シラカンバという名は、万葉集には「カニハ」とあり、葉の形から付けられ、なまって「カンバ」となった。カムチャッカではダケカンバが海岸から生えており、シラカンバは沼地の周りに生えていた。もともと湿地性。
・アズサ(ミズメ)の枝を折り、切り口の匂いをかぐと、サロメチールのかおりがする。万葉集に「梓の弓音すなり」という記述があるが、私は万葉の「弓」は、一弦の楽器ではないかと考えている。
・ウワミズザクラの実はうまいから、人間より前にトリが食べる。チョウセンマツの実はリスが食べる。タラノメはサルが食べる。
(以上報告・烏川渓谷緑地市民会議)
[2012/10/26 実施] 烏川渓谷緑地市民会議が受賞/都市公園コンクール全国大会で
10月26日に東京・日比谷公会堂で開かれた平成24年度「ひろげよう育てようみどりの都市」全国大会の第28回都市公園コンクールで、烏川渓谷緑地市民会議の活動が評価され、市民・県・指定管理者の3者がそれぞれ日本公園緑地協会会長賞を受賞した。きわめて自然度が高い貴重な森林渓谷資源の緑地を3者協働で管理運営してきたことを重視。緑地の保全状況や体験学習などの活動を評価された。長野県からは唯一の団体だった。
全国大会には市民会議から横地泰英座長ら3人が出席。表彰状を受けた。
[2012/10/14 実施] 10/14 第55回からすの学校 実施結果(市民会議編)1
烏川扇状地の用水路を学習/先生2人の博識、息の合った講義に感嘆
長野県烏川渓谷緑地は2012年10月14日(日)、水辺エリアで「烏川扇状地の用水路学習会」を開きました。参加は14人(うち市民会議5人)。講義内容は密度びっしり、スケール広大。地質年代から古墳時代、現代までの「川とヒト」を詳細な手づくり資料で説き明かし、参加者を魅了しました。講師は国営アルプスあづみの公園 協働パートナーの重野昭茂(しげの・てるしげ)、古幡達雄(ふるはた・たつお)の両氏。お2人は30数年前まで小学校の校長・教頭で、退職後「歴史ボランティア」として、郷土の歴史、人文を市民や子どもたちに教えてきました。息の合った講義は底深く、みっしりした内容でした。要旨は以下の通りです。
Ⅰ)烏川渓谷・扇状地の生い立ち(重野先生)
「北アルプスの地質図」を見てください。常念岳2857㍍から烏川が流れ出ている。5億年前、ここは大陸と地続きだった。5億年を過ぎて地溝ができ、海になった。2億5千年前、堆積してできたのが中・古生層(常念岳の南に広がっている)。中生代にまた隆起して地続きになり、6100万年前、また海になった。地殻変動で溶岩が地下深くで入ってゆき新期花崗岩類が出来た。3000年前、隆起がぐんぐん進み、海底にあった常念は2857㍍隆起したんです。ですから、烏川は相当に深い谷を流れ下り、古生層の大きな岩をごろごろ運んだ。豊科中学校にあるでかい岩は、その岩です。松本盆地には真ん中に大きな湖があった。200万年前いわゆる糸静線ができ、隆起がすすんだ。現在もまだ、どんどん隆起しているんです。大変ですね。というわけで、烏川はできた。
→ 2につづく
(以上報告・長野県烏川渓谷緑地市民会議)
[2012/10/14 実施] 10/14 第55回からすの学校 実施結果(市民会議編)2
Ⅱ)烏川 河川名の由来(重野先生)
平成8年、山麓線烏川橋の下流の流量や岩石の色などを16地点で調査しました。烏川橋が①、広域農道・穂高大橋が⑭、富田橋が⑯。①の流量を100%とすると、⑭との中間点⑨で流量は50%になり、⑯ではゼロになってしまう。つまり、烏川というより、涸れ洲川、涸れ川ではないか。穂高岳に涸沢カールがあるように、黒いカラスよりカレス川が似つかわしい。群馬県にも烏川があるんですが、こちらはカラス伝説に由来するようです。烏川でも涸れ洲川でも、どちらでもよいと思います。
※「河川の礫の色が烏に似ているから」という説と、「川が涸れてしまうから」という説についての説明。
Ⅲ)烏川用水のもたらした開発の姿(重野先生)
穂高地域の遺跡図を見ると、遺跡が扇状地の末端に集中している。昔はそこに自然流があった。
まとめると、古いのが沢、新しいのが堰。自然流が沢、人工的せき止めが堰。堰の途中途中に沢という流れもある。縦に流れて沢、横で堰という仕分けもある。
Ⅳ)用水路取入口の地形・構造・流路(古幡先生)
私は富田橋の調査地点で真っ黒い石にびっくりしたこともあり、涸れ洲川よりも黒いカラスの印象があります。用水路の取水口については、現地を案内しながら説明します。
人面岩のところには、はじめ上流側に取水口をつくったが、水位が下がり、下流側につくりなおしたことを遊歩道から説明。倉田堰の水路跡には古い石積みが残され、現在の幹線水路はその上を流れている。隣接の国営公園側では堰の上に、余った流れを逃す別の水路がつくられ、二重の堰になっているー。
古幡先生の現地説明は、古代からの人々が、懸命に水の利用に取り組み、あまさず使ってきた歴史を伝え、目の前の堰がその跡であることをまざまざと感じさせました。
(以上報告・長野県烏川渓谷緑地市民会議)
[2012/04/19 実施] 新道チップ敷き均し作業(第1回)
新園路開通にむけて、市民会議と森林保全チーム・県でチップ敷き均し作業を行いました。
前日4/18にチップの運搬テストをしましたが、道の傾斜のために小型運搬機が横転するなどして、なかなか思ったようには運搬ができませんでした。
4/19には、1回の運搬量を減らすなどの工夫をしながら作業をしましたが、水分を含んだチップは重く、また勾配がある箇所では小型運搬機のコントロールがうまくできませんでした。
それでも約7.5㎥のチップを敷き均し、今回予定している区間の約1/3が完了しました。
あと1回でチップ敷き均しは完了予定です。