[市民会議の活動] 最近行った活動 | 烏川渓谷緑地|長野県烏川渓谷緑地オフィシャルサイト

市民会議の活動 / Citizens conference最近行った活動

[2021/10/12 実施] からすの学校『烏川古道タイムトリップ』実施報告

10/10  からすの学校『烏川古道タイムトリップ』 安曇野市里山再生計画プロジェクト(さとぷろ。)の共催を得て実施しました。本来は5月に実施予定だったのですが、10月となりました。中部電力様にご協力いただき、普段は通れないつり橋を渡り『馬頭観音』等々古道の痕跡を「地域環境研究室主宰 浅川行雄さん」にご案内いただきました。ササに覆われた古道を進むと自身で渡す橋や江戸時代から佇む石碑も登場。草木1本財産で、時に騒動の場となった里山。かつて飛騨まで続く生活の道として活用されていたのでしょうか。そして、その価値が再評価されつつある安曇野の里山 文化と歴史を掘り起こす体験ができました。ご参加くださった皆様お疲れ様でした。

[2021/04/29 実施] 4/24『オオルリ観察会』を行いました。

4/24(土) 野生生物資料情報室を主宰し、信州野鳥の会会長でもある「植松晃岳」さんを講師にお招きし、『オオルリ観察会』を行いました。

当日は、オオルリをはじめとして、シジュウカラ、ヤマガラ、ホオジロ、コゲラ、ノスリ、トビ、コマドリなど15種程度確認できました。

オオルリは、終了間際に姿も現してくれて、ご参加の皆様も大満足の観察会となりました。

青い鳥をみて、幸せになりましたか?

 

※画像は過去のものです。

[2020/06/28 実施] 新月伐採木の引き上げ作業

烏川渓谷緑地市民会議『森林保全チーム』の活動で、冬に行った新月伐採。樹木の水分を抜くために枝をつけたまま置いておいたサワラなどの木を引き上げました。枝をおとし、玉切りにし、運搬。ワイヤーワーク・熟練の機械操作・連携作業。そして樹木は有効活用できるよう製材します。お疲れ様でした。

[2012/11/16 実施] 11/16新園路仕上げのチップ敷き均し作業(平成24年度分完成!)

新園路仕上げのチップ敷き均し作業の様子

新園路開通にむけて、市民会議と森林保全チーム・県でチップ敷き均し作業を行い、今年度分の新園路が完成しました!!

現地で樹木伐採や園路設置工事・チップ敷き均しなどの作業が本格的に始まったのは平成22(2010)年度ですが、より歩きやすい園路設置についての構想は、さらに数年前からありました。

現地作業に入る前に、市民会議の市民会員が中心となって、道なき森林内を何度も歩いてルートを検討し、環境への影響を極力小さくするために園路上の動植物を調査し、間伐作業等で発生した木材を使ってチップを作成したりと、現地作業に入るまでの下準備にも相当のエネルギーを使ってこの園路はつくられました。

既存の園路と比べて、なだらかで、チップも足に心地よい道となりました。

仕上がりは、是非実際に歩いて、ご確認ください。

[2012/11/10 実施] 11/10新園路仕上げのチップ敷き均し作業

新園路仕上げのチップ敷き均し作業の様子

新園路開通にむけて、市民会議と森林保全チーム・県でチップ敷き均し作業を行いました。

林内用の小型運搬機にて袋に入ったチップを運搬し、新園路に人力で敷き均しました。

チップの運搬も敷き均しもなかなかの重労働。園路の凹凸や勾配に手こずりながら現地までチップを運搬し、現地では袋をひっくり返して中身を掻き出し、園路に散布し、きれいに均してゆきました。

当初この作業は来春に行う予定でしたが、「紅葉がまだ楽しめるうちに是非開通させよう」という市民会議の熱意により、今秋の開通となりました。

紅葉は終盤にさしかかっていますが、森林の黄・橙・紅・緑色のグラデーションをもうしばらくは愉しむことができそうです。

どうぞ静かな森の散策をお愉しみください。

[2012/10/27 実施] じっくり みっちり紅葉観察会/大木先生の博学を聴く(10/27紅葉観察会 実施結果)

森林エリアで開かれた「樹木の紅葉観察会」の様子

烏川渓谷緑地市民会議は10月27日、森林エリアで「樹木の紅葉観察会」を開いた。参加は26人。おだやかな秋の日差しのなかで、大木正夫講師(県林業大学校講師)に木々や草本の見分け方、それらにまつわるいろいろな話をみっちり聴いた。大木さんはきわめて幅広い知識を持ち、植物、自然への愛情は深い。2時間半の観察の中で、100種類以上の木や草の名をあげ、実物を示し、さまざまなエピソードを語ってくれた。その一端を紹介する。

・紅葉は、寒さがくると葉と幹の間を遮断する層ができることで葉を落とす。黄葉から紅葉となるが、今秋は黄色が強く、赤が少ない。コシアブラやニワトコは色素が緑しかないので、黄や赤くならず、色が抜けてゆく。

・ヒノキやスギなどは葉を落とさず、枝ごと落とす。ケヤキは実のついている枝を落とす。

・ヒノキとサワラの違いは樹肌で分かるが、葉裏の白い気孔が「XW」がサワラ、「Y」がヒノキ。

・ミズナラとコナラの違いは、樹皮が厚く割れが深いのがコナラ、皮が薄いのがミズナラ。シイタケは皮を破って成長するので、原木にするには、皮のしっかりしたコナラが良い。ミズナラとコナラは高度で住み分けており、コナラは1000㍍以上にはいかない。大町以北は両者が混在する。

・シラカンバという名は、万葉集には「カニハ」とあり、葉の形から付けられ、なまって「カンバ」となった。カムチャッカではダケカンバが海岸から生えており、シラカンバは沼地の周りに生えていた。もともと湿地性。

・アズサ(ミズメ)の枝を折り、切り口の匂いをかぐと、サロメチールのかおりがする。万葉集に「梓の弓音すなり」という記述があるが、私は万葉の「弓」は、一弦の楽器ではないかと考えている。

・ウワミズザクラの実はうまいから、人間より前にトリが食べる。チョウセンマツの実はリスが食べる。タラノメはサルが食べる。

(以上報告・烏川渓谷緑地市民会議)

[2012/10/26 実施] 烏川渓谷緑地市民会議が受賞/都市公園コンクール全国大会で

都市公園コンクール全国大会で日本公園緑地協会会長賞を受賞したときの様子

10月26日に東京・日比谷公会堂で開かれた平成24年度「ひろげよう育てようみどりの都市」全国大会の第28回都市公園コンクールで、烏川渓谷緑地市民会議の活動が評価され、市民・県・指定管理者の3者がそれぞれ日本公園緑地協会会長賞を受賞した。きわめて自然度が高い貴重な森林渓谷資源の緑地を3者協働で管理運営してきたことを重視。緑地の保全状況や体験学習などの活動を評価された。長野県からは唯一の団体だった。

 全国大会には市民会議から横地泰英座長ら3人が出席。表彰状を受けた。

[2012/10/14 実施] 10/14 第55回からすの学校 実施結果(市民会議編)1

第55回からすの学校で烏川扇状地の用水路を学習した時の様子

烏川扇状地の用水路を学習/先生2人の博識、息の合った講義に感嘆

長野県烏川渓谷緑地は2012年10月14日(日)、水辺エリアで「烏川扇状地の用水路学習会」を開きました。参加は14人(うち市民会議5人)。講義内容は密度びっしり、スケール広大。地質年代から古墳時代、現代までの「川とヒト」を詳細な手づくり資料で説き明かし、参加者を魅了しました。講師は国営アルプスあづみの公園 協働パートナーの重野昭茂(しげの・てるしげ)、古幡達雄(ふるはた・たつお)の両氏。お2人は30数年前まで小学校の校長・教頭で、退職後「歴史ボランティア」として、郷土の歴史、人文を市民や子どもたちに教えてきました。息の合った講義は底深く、みっしりした内容でした。要旨は以下の通りです。

Ⅰ)烏川渓谷・扇状地の生い立ち(重野先生)
 「北アルプスの地質図」を見てください。常念岳2857㍍から烏川が流れ出ている。5億年前、ここは大陸と地続きだった。5億年を過ぎて地溝ができ、海になった。2億5千年前、堆積してできたのが中・古生層(常念岳の南に広がっている)。中生代にまた隆起して地続きになり、6100万年前、また海になった。地殻変動で溶岩が地下深くで入ってゆき新期花崗岩類が出来た。3000年前、隆起がぐんぐん進み、海底にあった常念は2857㍍隆起したんです。ですから、烏川は相当に深い谷を流れ下り、古生層の大きな岩をごろごろ運んだ。豊科中学校にあるでかい岩は、その岩です。松本盆地には真ん中に大きな湖があった。200万年前いわゆる糸静線ができ、隆起がすすんだ。現在もまだ、どんどん隆起しているんです。大変ですね。というわけで、烏川はできた。

→ 2につづく

 (以上報告・長野県烏川渓谷緑地市民会議)

[2012/10/14 実施] 10/14 第55回からすの学校 実施結果(市民会議編)2

第55回からすの学校の様子

Ⅱ)烏川 河川名の由来(重野先生)
 平成8年、山麓線烏川橋の下流の流量や岩石の色などを16地点で調査しました。烏川橋が①、広域農道・穂高大橋が⑭、富田橋が⑯。①の流量を100%とすると、⑭との中間点⑨で流量は50%になり、⑯ではゼロになってしまう。つまり、烏川というより、涸れ洲川、涸れ川ではないか。穂高岳に涸沢カールがあるように、黒いカラスよりカレス川が似つかわしい。群馬県にも烏川があるんですが、こちらはカラス伝説に由来するようです。烏川でも涸れ洲川でも、どちらでもよいと思います。
※「河川の礫の色が烏に似ているから」という説と、「川が涸れてしまうから」という説についての説明。

Ⅲ)烏川用水のもたらした開発の姿(重野先生)
 穂高地域の遺跡図を見ると、遺跡が扇状地の末端に集中している。昔はそこに自然流があった。
まとめると、古いのが沢、新しいのが堰。自然流が沢、人工的せき止めが堰。堰の途中途中に沢という流れもある。縦に流れて沢、横で堰という仕分けもある。

Ⅳ)用水路取入口の地形・構造・流路(古幡先生)
 私は富田橋の調査地点で真っ黒い石にびっくりしたこともあり、涸れ洲川よりも黒いカラスの印象があります。用水路の取水口については、現地を案内しながら説明します。
 人面岩のところには、はじめ上流側に取水口をつくったが、水位が下がり、下流側につくりなおしたことを遊歩道から説明。倉田堰の水路跡には古い石積みが残され、現在の幹線水路はその上を流れている。隣接の国営公園側では堰の上に、余った流れを逃す別の水路がつくられ、二重の堰になっているー。
 古幡先生の現地説明は、古代からの人々が、懸命に水の利用に取り組み、あまさず使ってきた歴史を伝え、目の前の堰がその跡であることをまざまざと感じさせました。    

 (以上報告・長野県烏川渓谷緑地市民会議)

[2012/04/19 実施] 新道チップ敷き均し作業(第1回)

新道チップの敷き均し作業(第1回)の様子

新園路開通にむけて、市民会議と森林保全チーム・県でチップ敷き均し作業を行いました。

前日4/18にチップの運搬テストをしましたが、道の傾斜のために小型運搬機が横転するなどして、なかなか思ったようには運搬ができませんでした。

4/19には、1回の運搬量を減らすなどの工夫をしながら作業をしましたが、水分を含んだチップは重く、また勾配がある箇所では小型運搬機のコントロールがうまくできませんでした。

それでも約7.5㎥のチップを敷き均し、今回予定している区間の約1/3が完了しました。

あと1回でチップ敷き均しは完了予定です。

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